店主晴れ晴れ日記

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初めてのお持込、うれしー
無店舗販売の事務所を立ち上げて三ヶ月、今日初めて事務所へ本の持込があった。

事前に電話があり、教育関係書が十四~五冊程で、あちらこちらの古本屋さんに断られたという。
出張買取をしており、こちらから伺う旨をお伝えしたが、お持ちになるとのことであった。

三十前後のお若い方で、恩師より頂いた本で、どうにか世の中の役にたたせたい、再流通させたいとの思いで、お持ちになった。
事前にリストをいただいていたので、前もって査定していた値段でお売りいただいた。

初めてのお持込もあって、嬉しく、古本屋話、活字文化のはなしばかりになった。
無店舗販売修行・写真の巻
やったー、いなちゃんに聞いて、スマホからこのブログに画像を入れられるようになった。

いなちゃんに聞くのは三回目だ。やり方はノートにつけるのだが、翌日再現しようとすると解らない。
今回のメモはパソコンの図解入り。

もうばっちし。
なぎさ書房を偲ぶ会
総会の日の午後、同場所で、伊勢佐木町の「なぎさ書房・松田修二氏を偲ぶ会」があった。かみさんと参加させていただく。
神奈川のみならず、東京、千葉の同業者が40余名も集まり、各氏のエピソード話からも、なぎささんの人望が偲ばれる会となった。故人との逸話を話しながら、幾人もが感極まり、落涙する。

人死した時、幾人の友が泣いてくれるのか。人の情の厚きことよ。

なぎさ書房も湘南堂書店も、図らずも同じ一月末日の閉店となった。
閉店業務が一息つく二月中旬頃、なぎささんに電話をする。「反町公園の桜が咲いたら皆で桜を見よう」と約束をする。
多くの同業者仲間も同じ約束をしたに違いない。
その桜を共に見ることが、永遠に出来なくなった。

4月2日、なぎささんの訃報が届く。
古書会館の眼前を、公園の桜が染め上げていく。

亡くなった後、彼の部屋からキレイに書かれた紙片が出てきたという。

人生を模糊たる霞の中にぼかし去るには耄碌(もうろく)状態が一番よい。
明澄な意識に突如訪れる死は悲惨だ。
だから、完全なる暗闇に入る前に薄明の中に身をおき現実の「あくどさとなまぐささ」 を いったんうしなうことが肝要。「現実を忘れるどころか、この調子では死ですら越えて夢見そうである」という境地に入れば、死は「夢のつづき」であるばかりか「望みうる唯一 の生」かもしれないと、森鴎外の長男の医学者は言う。
「耄碌(もうろく)寸前」から。

なぎささん、お付き合いいただきありがとうございました。
席上誰かが述べた「なぎちゃんは先に行って、あっちで古本屋を開いていると思う。私が行くまで待ってていてくれる」と。
私たちもまた、彼の地の片隅で、古本屋を開きたいものだ。

次の店はあの世だ!
古書組合総会に行ってきた
昨日は、神奈川古書組合の総会へいって来た。 総会は、毎年五月下旬に開催され、前年度の決算報告、予算の承認、役員の改選などのほか、組合員の承認を必要とされる重要案件の討議、議決を行っている。 組合収支の悪化、組合救済案の討議などで、9時間、10時間に及ぶこともある我が組合の総会であるが、今回は3時間程で終わってしまった。 午後に、同会場で、「なぎさ書房松田修二さんを忍ぶ会」があることもあったが、今回改選となった旧理事会諸氏の、二年に及ぶ劇的な収支改善と黒字化により、組合員一人一人の危機意識がそうとう薄れてしまったのも大きな要因だと、強く感じた。 しかしながら、交換会(古本市場)の出来高はあい変わらず下落傾向のままであり、書籍という媒体の活字文化が衰退していくことを、誰も止めることが出来ずにいることに変わりないのが現状である。

今回の閉店を機に、屋号を変えたいと思った。

屋号を変えたいと思ったのは今に始まったことではない。
屋号を変えようと思ったのは、36年前に遡る。藤沢で創業する直前の時だ。

私の最初の屋号は「流浮本屋」だった。
人から「ふるほんやさん」と呼ばれたかっただけである。

当時、二つの当て字を考えた。富を留める本屋で「富留本家」、家の字が気に入っていた。
もう一つが、浮いて流れる本屋「流浮本屋」であった。こちらは屋の字。
いくらなんでも富を留めるはまずいだろうと、 「浮流本屋」とした。
私の古物営業許可証には、ちゃんと 「浮流本屋」と記されている。

今でも一番好きな、私の生涯の屋号だ。

材木を切ったり、穴を開けたり。開店準備をしていた時、私の古本のお師匠から、
「浮いて流れるなんて縁起が悪い、だめだめ」と諭され、開店前に看板を作り変えた。
新たな屋号が思いつかない。開店日が迫る。藤沢でやるのだからとりあえず湘南で良いだろうと「湘南古書センター」と急ぎ名つけた。
後日変えれば良いのだ。

開店して組合に加盟すると、加盟直後に当時の理事会に呼び出された。
近隣の組合員から、「湘南古書センターといった湘南地方を代表するような屋号をつけられて迷惑している」との旨であった。

開店前後、二度の看板の挿げ替えとなった。湘南古書センターから湘南堂書店へ。
「湘南堂書店」の誕生である。

すぐにこの屋号を変えるつもりであったが、そう思いつつ36年が経ってしまった。

湘南堂書店から24~5人独立しているが、いずれも屋号に地名と個人名が付いていない。「屋号に地名や個人名はつけるな」と言って、独立していく諸志を送り出した。
楽しくないからだ。

「湘南堂書店」は別に嫌いな名、という訳ではない。
「浮流本屋」が私の心ならば、「湘南堂書店」は私の体そのものであり、良き相棒である。

今回、無店舗になる機に、その屋号を変えようと思った。

「藤沢古書処 一晴舎(いっせいしゃ)」

一つ晴れ。残りの人生はこれだ、と一人悦に入る。「一晴舎」屋号のホームページの制作がはじまる。

しかしながら、屋号変更を賛成してくれる者が一人もでてこない。屋号変更へのデメリット論ばかりとなった。
「一晴舎」は幻となった。

店長日記のタイトル「晴れ晴れ日記」に、その残滓だけが残った。










「自分は古本屋だと言うと驚かれる。驚かれる商売なんですかね」
先日来訪された、古書モダン・クラシックの古賀さんの言葉に驚かされる。

彼は、「東京蚤の市」の古本催事を終えたばかりだ。湘南堂書店は来月、新宿の交通広場で古本まつりに出動する。
が、しかし、古賀さんと話していると、同じ古本催事なのだが、まるで異質なのだという事に気ずかされる。

新宿の催事場で、「古本屋であることに驚かれる」といったことに私が驚く、なんてことは全く想像もつかないことである。

「何これ。わあ何」
販売台の横で若い娘が騒いでいる。確かにこれは目にすることだ。
この古本屋の日常の一風景に何の疑問ももたなかったのは不覚。

我々の商売は、絶滅危惧種の幻のごとき生物のように、今や驚くべき商売になってしまったのか。

古賀さんの驚きとは、衰退していくから珍しいのとは少し違っている。
それもあるが、見たこともない、今まで出会ったこともない生き物の背中のキラメキや腹の美しさの新鮮さ、わくわく感、ドキドキ感に出会った驚き、ではなかったのか。

新宿の催事に、また今年も、東京古書組合が定義してくれた「古書とは、今入手出来ず、なおかつ社会的に価値のある本」を指針に、人文科学の脳に重たい活字たちを、思いっきり安く値付けして、車に満載して運んでいくのだろう。

若い書肆たちのネットや売り場には、心に到達する感性や享楽的な幸福感をくすぐる一冊を、提供というかたちで自己主張、悪く言えば見せびらかしているようにも映る。
彼らのホームページは、虫たちをおびき寄せる甘味な花のようだ。

価値感が違うのだ。価値の基準がずれたのだ、と思わせる。古本屋の価値が変転したというよりも、活字にたいする、また書籍に対する世代の価値感、基準が気ずかぬ間に変わっていたのかもしれない。

かつて巷にあふれかえった「活字離れ」の文字に騙されている間に、活字文化は新たなる価値感へと進化している可能性は高い。

バカじゃないか、この本にこんな値段をつけて。後日、そのホームページを見ると、SOLD OUT の上書き。当店では100えん均一、Amazonでは1円だぜ。

横浜パシフィコの図書館フェアでの古書催事、二十年、三十年のベテラン古本屋が、組合に入って間もない女性の新人書肆の、スカスカの棚に売り負ける。翌年も、翌年も。負けるだけではない。その差が開いていくのだ。それだけではない。われわれ古参の棚がスカスカになっていく。面陳が増えていく。彼女に引きずられたのだ。

ネットにやられたのだ。人文科学はすべて電子化されてネットのなかにある。ネットが彼らを育てたのだ。書肆たちだけではない、客をもだ。
私の2人の子供たちは、ふたりともテレビを見ない。PCかスマホかだ。

いま、YouTubeには活字が溢れている。映像の上を恐ろしいほど早く右から左へと、活字が重なり合いながら飛んでいく。
すべてが意味ある言葉だ。即興の、思いつくままの思い、評価、評論、仮説、提案・・・
そして絶叫、シュールな意味不明の文字列。
書籍の中に誰が自らの活字をもって突撃していくなどということを想像できただろうか。

こんななかで育ってきた連中を、これから先、古本屋のみならず出版人たちは相手にしていくのだ。

活字が滅んでいくのではない、その進化が早すぎて見失ったのかもしれない。
活字の今のあり場所に生きる同時代の者でない限り、自らの価値基準のものさしを変えない限り、衰退していくしかないのか。

こんな戯言を夢想させる昨日の6時間でした。
昨日、古書モダン・クラシック(東京古書組合)の古賀さんがお見えになった。
日本古書通信のコラム、「21世紀古書店の肖像」の取材だという。
営業不振で閉店したばかりの古本屋を取材して、いったい何を書くのだろうか。

古賀さんは6~7時間いた。
40行足らずのコラムに湘南堂書店の摩耶かしどう切り取るのだろう。

日本中の古本屋が、年々その数を減らしていく。新刊屋、出版社、取次店・・・言わずもがな。
組合では、後継者がいない事が日々話題に上る。この先わずか10年たらずで、さらに多くの古参の古本屋たちが、この業界を去っていくだろう。

この状況のなかで、今、若い方たちが、不思議と古本屋の世界、組合にその身を投じてくる。

彼らのホームページや、彼らがとりあげられた雑誌ブルータスの特集号を見ると、一様におしゃれで自己主張があり、しかし古参の古本屋から見ると、奇異に映る。自分のものさしと明らかに違うのだ。

やっていけるのか、食っていけるのか。

古賀さんのお話をうかがうにつれ、少しずつ違和感のズレがかみ合って行く。

「自分は古本屋ですと名のると、一様に驚かれる。驚かれる商売なんですね」
古賀さんがつぶやいたこの一言が、ひどく印象にのこった。

今の方たちとの違和感の答えが、すべてこのなかにあるのかも知れない。

古賀さんは写真家でもある。
事務所の椅子にすわる古賀さんの足もとに、いつも連れ添う愛犬のように、重量感のあるニコンのデジカメがむぞうさに横たわる。

古書モダン・クラシックのホームページの一枚の写真。あらかた売れてしまった販売台の上ではしゃぐ、少女のピンクのスカートから下だけが切り取られたショットから、少女の表情や楽しさが伝わってくる。まるで絵本や俳句のような・・・




 

 来る年もくる年も売上が落ちていく中、ホームページは低コストで出来る店、城であると、

いよいよ湘南堂が倒れる時の、湘南堂を出て行く従業員のための救命艇の一つとするはずであった。

 

 ホームページはとうとう出来ず、敗戦となった。

 

 閉店をして3ヶ月目に入った4月初旬より、ホームページの作成が始まる。

一と月後の5月の連休明け、不完全ながらもこのホームページが相模の海に船出する事になる。

 

 ホームページは、イナちゃんが単独で進めていった。

わたしのカミさんの帽子が一人でAmazonへの登録をこなし、漏れ出る赤字を根気よく削っていく。

わたしは、最初のブログを書くために、左右二本の人差し指でキーボードの上を彷徨うだけだ。

スペースキーをいくら叩いても、文章が右にずれていくだけで、行が一段下がらない。

イナちゃんに聞くと、「エンターを押してください」とイラつかれる。こんな状態である。

 

こんな状態の中で、一と月でホームページは世にでた。 

溺れたのだろう。

溺れて初めてホームページが出来たのだ。

 

小さなイカダのような救命艇ではあるが、夢のある楽しい船出となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月14日は、私にとって特別な日だ。
信濃国一之宮、総本社諏訪大社、下社御柱祭の3日にわたる里曳き(さとびき)の第1日目なのだ。

諏訪大社は4社からなる。諏訪湖の東側、諏訪市と茅野市にまたがるように位置する上社の2社、
本宮と前宮、そして、諏訪湖の北側、岡谷市に隣接する下諏訪町にある下社、秋宮と春宮の4社である。

先月初旬、まだ雪の残る八ヶ岳連峰を背景に、計6日間、上社下社それぞれの山出し(山から里までの山道を
5~11キロ、8~10トンのもみの木の大木を曳行する神事)が終了した。
春が遅れて訪れる5月初旬、上社の里曳き(山出しされた御柱を各社まで曳行し、各宮の四隅に御柱を建て
る神事)も終わってしまった。

あとは、今日よりの下社の里曳きを残すのみとなった。

年初、営業の悪化で閉店、新たに立ち上げたゼロからのスタートの事務所、御柱に追いつかない
ホームページ、ここ2週間で2度の救急搬送をされた介護認定5の我が母と、介護に通うカミさんの父母、
慢性的な体調不良。これを押して信濃に向かう馬鹿は出来ない。

先月は、上社、下社と2度諏訪に駆けつけた。里曳きまで行ったら馬鹿が愚か者になる。

だが、しかし、今日、明日行かなければ、次の御柱祭は7年後の2022年となる。
御柱祭は、数えで7年に一度、申歳と寅歳にしか巡ってこないのだ。

肝臓と肺に腫瘍をかかえたこの身が7年後まであるとは思えない。
悔いが残る。まだ間に合う。明朝の始発に乗りさえすれば。

先月の山出しの終着地、注連掛(しめかけ)の丘に、御柱への思いは置いてきた。

一ト月後の里曳きの日まで、しばしの眠りに入る御柱の木肌に触れながら、今生の別れは告げてきた。

と言っても、12年前の2004年の申歳、長男と初めて行った御柱祭の山出し、里曳きに魂を奪われ、何とか6年生き延びたいと思った。
2010年の寅歳、再び長男とたどり着いた御柱は、1ミリの退色もなくそこにあった。
6年後はもう無いと思い、これが最後と覚悟をしたがまた生き延びてしまった。

さて、さてさて、6年後はどう考えても無理だと確信するが、家族皆が鼻で笑う。
あっちで、こっちで狼少年の体である、心底調子が悪いのだが。

御柱の何処に魅了されるのか、以降考察、目を通される方を、一人でも多く信濃一之宮諏訪大社の御柱祭にお連れしたいと
思っております(笑)


ANNニュースより

今日、ホームページに初めて本を登録した。 この8冊を登録するのに2時間かかってしまった。
イナちゃんに手取り足取り教えてもらう。幼稚園の幼児、というよりも、介護施設の老人のていだ。
写真をもう一度取り込め、と言われても、手順は遠い過去の奈落の底に次から次へと
瞬時に落ちていってしまった。
書き取ったメモも不完全で、象形文字の石片のようだ。

36年間営業してきた藤沢湘南堂書店を閉店して、3ヶ月余り。
閉店のための業務もあらかた終わり、ようやく、このホームページを立ち上げる事が出来ました。
群生する路端の一草 ですが、藤沢 湘南堂書店36年間で初めてのバーチャルショップ
「古本旅行社 湘南堂書店」です。

たまたま、昨日の読売新聞のコラム(編集手帳)にこの様な一文を目にしました。
旅する者には二種類の人間がいる。「旅の目的地を目指す者」と「旅の過程を楽しむ者」と。

私たちの目的地は判然としませんが、湘南堂書店はこれまでも、これから先もすべて、生きている限り、旅の途中であり続けるのだと思います。

この36年間は、わくわくドキドキの古本屋稼業でした。長短はあれど、これから先も続きますこのわくわくドキドキの古本屋ワールドを、古本屋を愛して下さるお客様、同業の皆様、ふたりの素敵なスタッフ、皆ともにお楽しみ頂けますよう心より願っております。

この藤沢の一隅にこうして新たな庵を設けるにあたり、スタッフとして共に尽力してくれた我が右腕、帽子さんと左腕のイナちゃんに心より感謝いたします。
皆んな、これからもよろしく頼むよ。



まだ2ヶ月なのに、10年ぐらいやっている様な散らかり具合、妙に居心地が良い事務所(笑)